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戦後~高度経済成長時代の「足」として 1943年~1973年 戦後~高度経済成長時代の「足」として
1943年~1973年

遠鉄グループの歴史 1973年 - 2003年 2003年 - 2013年 2014年 - 2023年

1943年 - 1950年

遠州鉄道株式会社の創立

1943年11月1日、太平洋戦争のさなかに遠州鉄道株式会社は創立されました。地域の交通を1事業体に統合するように、という鉄道省の通牒を背景に、遠州電気鉄道・浜松自動車・遠州秋葉自動車・掛塚自動車・遠州乗合自動車・気賀自動車の6社に、バス事業者4社を加えて誕生したのです。1945年6月18日の大空襲で、浜松市全体が焼け野原と化した時も、電車は1日も休止せず、市民の交通を支えました。創立時に230万人だった年間輸送は、1945年には1,057万人を数えています。終戦後は、会社の総力を挙げて全線復興と安全輸送に取り組み、1947年に、全線18.6kmが完通しました。1948年以降導入されていったディーゼル車で、バス事業の輸送力も増大し、地域住民の「足」として貢献度を高めていきました。

1946年に復旧した旭町の本社ビル

1946年に復旧した旭町の本社ビル

バス事業はディーゼル車の導入で輸送力増大

バス事業はディーゼル車の導入で輸送力増大

1950年 - 1960年

運輸交通事業の充実

地域の復興と軌道を同じくして、鉄道施設の改善が重ねられていきました。駅舎の新築も相次いで行われ、1958年には遠鉄浜松駅が完成、二俣電車線遠州浜松駅と奥山線東田町駅が統合され、駅前は乗合バスの起点となりました。地域初のターミナル駅の誕生です。バス事業も1952年には休止路線ゼロを達成し、浜松周辺人口の増大と相まって、県西部の輸送拠点整備が進められました。戦争で休止していた貸切バス事業も再開、慰安旅行・修学旅行の需要急増に応えています。世相とともに、グループ内の新会社設立の機運も高まり、1951年設立の遠鉄商事は各種保険の代理業や物販、広告などを主業務としました。また、1956年には舘山寺観光開発が発足し、遊園地や娯楽センターを開業しました。観光バス会社も設立が相次いでいます。

遠鉄浜松駅(1958年撮影)

遠鉄浜松駅(1958年撮影)

舘山寺遊園地(1960年撮影)

舘山寺遊園地(1960年撮影)

1960年 - 1964年

躍進の事業展開

1955年から1961年にかけて、日本のGNPの伸び率は82%に達しています。遠鉄グループも順調に社業を拡充し、1962年には、従業員数が2,000人を超えました。「奉仕・前進・幸福」の社是を制定したのは、1963年のことです。この頃のバス路線は浜松から放射線状に広がり、密度も濃く、バス交通の黄金時代でした。1962年導入の、95人乗り超大型バスも評判になりました。また事業多角化も続き、1962年設立の遠鉄不動産や1964年設立の遠鉄自動車学校など、現在に至るまで着々と業績を伸ばしています。

遠鉄国道本線の超大型バス(定員95人)

遠鉄国道本線の超大型バス(定員95人)

遠鉄不動産が手がけた新磐田ビル落成(1962年)

遠鉄不動産が手がけた新磐田ビル落成(1962年)

1964年 - 1973年

高度成長期における連帯経営

1969年度、収入100億円突破を達成した遠鉄グループは、「地域密着の総合サービス企業集団」として体質強化を進めます。1972年には、20年ぶりに鉄道ダイヤを大幅改正。お客様の利便のため、全線にわたり10分ヘッドの運行を取り入れました。路線バス事業はマイカー増加による交通構造の変化を受けて、ワンマンバスへの移行を推進しました。観光部門も強化が進み、1967年に観光バスセンターを開設。1969年には東名高速全線開通を機に、名古屋に進出しました。1970年の大阪万博では、延べ7,000台の貸切バスを会場に送り込む盛況で、同年スタートした「遠鉄バンビツアー」は当社独自の企画商品として定着しました。一方、舘山寺を中心とする一大レジャー基地建設も進められ、ホテルのオープン・遊園地の増設・ヨットハーバーなど大型投資が行われました。

当社で発売した記念乗車券の数々(1971年)

当社で発売した記念乗車券の数々(1971年)

毎日約40台のバスが万国博覧会へ(1970年)

毎日約40台のバスが万国博覧会へ(1970年)

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